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東西交通の要地であり、短期間ではあるが近江京や紫香楽宮が平安京に先んじて置かれる等、 古くから開発され日本の中央政治に関わってきた。近江京を巡り壬申の乱が起こり、 東西日本の接点という位置により藤原仲麻呂の乱の舞台となった。 平安京への遷都後には都から東国、北国への玄関口となる。
平安時代中期より佐々木氏が近江に起こった。 この佐々木氏は源頼朝が東国で勃興するとこれに積極的に加わり、 近江一国の守護職を得た。以降、六角氏、京極氏と分かれながら、 佐々木氏一族により戦国時代に至るまで近江を支配する。 南北朝期にはバサラ大名で有名な佐々木導譽(高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。
本願寺蓮如の大布教が始まると現大津市域は一向宗色が強くなった。 このためこれを喜ばない比叡山が度々攻撃を仕掛けた。 比叡山お膝元の坂本は一向宗の堅田と経済的にもライバルであったから、両者の抗争は頻繁であった。 この後、蓮如は大津に近江における一向宗拠点を構えたため、大津が栄えることとなった。

戦国時代に入ると北近江に浅井氏が台頭する。 形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南近江を領する六角氏と抗争する。 織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、 後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、1573年に滅亡する。
近江を完全に支配した信長は根拠地として近江平野に安土城を建設する。 信長の死後は畿内を根拠とする羽柴秀吉と北国を根拠とする柴田勝家の係争の舞台となり、 近江北端部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着が着けられた。 秀吉は初めての領地が近江長浜であった関係もあり多数の近江人を主に事務方として登用した。 石田三成もその一人である。 しかしその事によって生じた近江閥と秀吉出身地の尾張閥の対立が、 近江東端で行われた関ヶ原の戦いを促したとも言われる。 徳川家康は徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を彦根に入封させ西国の抑えとした。

近世まで、交通の便から商業が発達し近江商人が有名。
廃藩置県後、一時期には旧敦賀県の嶺南地域を編入した為に若狭湾に面していた時期もあったが、その後旧敦賀県が「福井県」として復活した事で、内陸県である現在の姿となった。

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